修士論文を提出し,審査会がおわて1週間程度が経過します.
少し燃え尽き症候群っぽくなっているのが自分でわかるので,何かせねば・・・.
ということでリハビリとして書きます.
金欠,学会,就活,終わらない監獄
修士課程のため,田舎から都会へ引っ越してきまして,ワクワクしながら3月中過ごしたのを覚えています.
友人とアルバイトをしたり,飯屋を巡ったり,チャリを買ったりしたのを覚えています.
そして迎えた入学式は寝坊.ぬるっと修士生活が始まります.
学部時代とは専攻が大きく変わり,実験系からシミュレーションに変わりました.
研究室に入ってすぐにLinuxがどうとか,シミュレーションソフトがどうとか,色々新しいことに触れる機会が多かったように思います.
修士課程ではそこそこ授業を受ける必要があり,MacBookを持って授業を受け,その後研究室へ行き,
17時程度まで研究のことをやっていました.
そんなこんなで新しい環境,研究に直面している中,就活やらなんやらが一気に始まりました.
修士1年目の11月頃には学会が予定されていたので,半年そこらで何かしらの結果を出さねばなりません.
6月くらいまでは,色々わからないことが多く,大変だったのを覚えています.
学部で超伝導がどう,とかの実験をしていたのが,一気に変わってプログラミングやら機械学習やらAIやらで,大変でしたがそこそこ楽しかったように思います.
さて,そんなことをしているうちにすぐに就活が始まります.就活を始めて驚いたのですが,企業の数というのは想像以上にあります.やりたいことや勤務地,待遇などを踏まえ,3社ほどに絞りました.
6月頃にはもうインターンの選考に進んでいたように思います.地元の機械系の会社のインターンにエントリーし,無事に通過してあとは研究をしながら夏を待つのみ・・・.という感じで修士1年の前期は終了します.
そして夏休み,地元に帰り,インターン生活が始まりました.インターン期間は2週間程度で,かなり長かったのを覚えています.幸い企業が地元の実家の近くにあり,寝場所や飯には困りませんでした.
インターンは前半は車に乗って各工場に出向き,色々見学や話を聞いたりして過ごし,後半はラズパイを使って新たなシステム作りを体験しました.最終日にはスライドを作り,発表をしました.かなり充実したインターンでした.
また,インターン中に研究室から連絡があり,11月頃の学会の予稿を提出する必要があり,それも同時に進めていました.研究はなかなか思うような結果が出ず,なんとか捻り出した結果で学会の予稿を書いたのを覚えています.
インターンが終わり,研究室に戻ったあとは,同期のインターンの結果を聞きながら,学会に向けて研究を頑張ります.授業,研究,就活,学会準備と,色々忙しかったのは覚えています.
なんやかんやで学会の時期がきまして,大きいポスターを刷り,学会へむかいました.
学会ではそこそこ詰められながらも,良い経験ができました.研究もう少し頑張った方がイイな〜と思ったのを覚えています.
学会から帰ってくると次は就活が本格化してきます.10社も20社も企業を受ける,と噂を聞いていましたが,私は3本程度に会社を絞り,インターンをこなしつつ,早期選考の準備をしていました.
この頃からテストセンターやらSPIやらも対策を始めました.
忙しさこそそこそこですが,就活も同時にしているとメンタルがゴリゴリ削れていくのがわかります.
そんなこんなで年末を過ごし,翌年の1月中旬から早期選考が始まります.
受けた会社は大学の近くにある組み込み系と鉄鋼.組み込みの方は2月中に内定をもらえ,その時点で鉄鋼は選考中だったのですが辞退し,組み込み系の会社へ行くことにしました.
色々理由はありますが,まず組み込み系の方は面接の時点で研究開発が確定しているのが大きい魅力でした.一方,鉄鋼の方は必ずしも希望する部署に行けるわけではなかったのが大きかったです.
また,もともと組み込みに興味があり,どうしてもそれがやりたかったのでこのような結果になりました.
鉄鋼の方はお高いお店に連れてってもらえたり,先輩の方と一緒にタバコを吸ったり,人生相談を聞いてもらえたり,選考のアドバイスをいただいたり色々お世話になりました.
そんなこんなで就活がぬるっと終わり,研究室にぬるっと行くと,今年は海外に学会に行くヨ‼️と言われます.
マジ〜〜と思っていたのですが,すぐ後日に海外の学会がもう一件追加になりました.
結果的には修士2年の間に国内外を合わせて学会を7件程度参加することになり,毎回振り絞った研究内容でスライドやら予稿やらを書くことになります.
また,5月頃の学会ではありえないくらいボコボコにされ,しばらくげんなりした気分で研究をしたのを覚えています.
特に修士2年の8月9月あたりのスケジュールが,海外1週間行って1週間後国内学会に参加して,また1週間したら海外に行く,ような生活で,絶望感がありました.アドレナリンで乗り切った感はあります.
海外の学会の写真集で,現地語で激詰されている私の写真もありましたが,今となってはいい思い出です.
一口に学会に参加すると言っても,スライド作りや予稿作などにも1週間程度かかるため,全体としてみるとかなり忙しいスケジュールだったと思います.
正直,修士2年目は忙しすぎてあんまり記憶がありません.
研究室の連絡の通知が土曜の夜に来て,うぎゃ〜と思ったこともありますし,夜眠れず研究をする時期もありましたり,夜中に目が覚めて研究をする時期もありました.
ゴリゴリメンタルが削られ,立て直し,削られ,立て直し,を繰り返した気がします.
大学院は病みやすい,という記事を読んだことがありますが,すごく共感できます.
色々絶望の瞬間があったので少し思い出してみます.
学会でボコボコにされている時,学会のため夜のスラム街を歩いた時,海外の空港で大きい銃を構えた保安員を見た時,海外で捕まり監禁を受けた日本人の記事を海外で読んだ時,知らない食べ物に知らない虫がいっぱいついていた時,デング熱の説明を受けた後にゴム農園で蚊に噛まれた時,狂犬病の話を聞きながら野良猫の声が聞こえる時,海外から帰って1週間で来週の学会の準備をしている時,また来週の海外の学会の準備をしている時,現地語で激詰されている時,連絡が土曜の夜中に来た時,チャリがパクられ片道五キロ歩いて登校した時,金欠すぎて単発バイトをしたところでっかいおっさんがいっぱい乗った黒塗りのハイエースに乗せられた時,でっかいおっさんが家族持ちにも関わらず私と同じ給料を手渡しされている時,金欠の中,スーツのケツが裂けた時・・・.
今思えば,とにかく金欠と戦っていたような気がします.
そんなこんなで修士二年目は色々ありましたが,なんとか修士論文作成と審査会にたどり着くことができました.
正直今までの学会のデータなどを使えば良いだけなので,修論も審査会スライドもサクサクできました.
審査会自体も正直余裕でした.私の発表の後に,他の研究室の友人がボコボコにされているのを眺めながら部屋を退出し,タバコを吸いながらアサヒ銀缶を飲み,青空を眺めて,私の修士生活に終止を打ちました.